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広島高等裁判所 昭和46年(う)46号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金四〇、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

原審および当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

検察官の控訴の趣意は記録編綴の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

所論は、原判決の事実誤認を主張する。すなわち、これを要するに、原判決は、被告人には本件業務上過失致死の公訴事実中の速度調節(減速)業務および前方左右の注視義務を怠つた過失は認められないとして、被告人に対し無罪の言渡しをしたのであるが、これは事実を誤認したためであり、証拠を仔細に検討すれば、被告人に減速義務および前方左右の注視義務を怠つた過失は十分に認められるのみならず本件事案においてはいわゆる信頼の原則は適用しえないものと考えられるから、これらの点において原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるものというべく、到底破棄を免れない。というのである。

よつて本件記録を調査し、当審における事実取調の結果をも合わせて検討するに、各証拠〈省略〉を総合すると、以下の事実が認められる。すなわち、

(一)  被告人は、昭和四五年三月二八日午後七時三〇分頃、普通乗用兼貨物自動車(ニッサンダットサン四四年型、広島四な三六八五号)を運転し、時速約六〇キロメートルで、岡山県御津郡建部町下神目の中鉄バス下神目上停留所附近の、交通整理も行われておらず、横断歩道も設けられていない交差点にさしかかつたが、同所を通行するのは当夜が始めてであつたこと、

(二)  右交差点はいわゆるT字路の交差点であつて、被告人は、南北に通ずる幅員約九メートルのアスファルト舗装の国道(その西側には幅員約七二センチメートル、高さ約二〇センチメートルの歩道が設けられている)を北方から南方に向けて進行しており、同交差点の北方約一〇〇メートルのカーブになつた個所を通りすぎると同交差点の南方約三〇ないし四〇メートルまでの間はほぼ直線で見通しは良く、同交差点東側においては、東西に通ずる幅員約3.35メートルの非舗装の町道が右国道と交差していること、

(三)  同交差点の北方約1.2キロメートルの地点には横断陸橋が設けられていたが、それより同交差点附近までの間には何らの横断陸橋、横断歩道も設けられておらず、同交差点附近は田圃が続いていたが、同交差点東北角の田圃の中に中鉄バス下神目上停留所の待合所があり、附近の田圃の中には人家が点在している状況で、時間的場所的関係からして、人の通行が全くありえないような特別の事情は存在しなかつたこと、

(四)  同交差点西方の田圃内には、二〇ワットの螢光灯一基が電柱に設置されていて同交差点附近を照していたが、その照明はさほど明るいものではなく、他に同交差点附近を照す照明といえば、たまたま同所に停車していたマイクロバスの明りだけであつたこと、

(五)  右マイクロバスは、直本守の運転する定員九名の車幅1.54メートル、車長3.86メートルの車両であつて、国道南方から北方に向けて同所にさしかかり、同車後部が同交差点を通りすぎたばかりの位置で西側歩道に寄せて停車し、同所で南堅(本件被害者)および細川琢志を下車させていたが、その間、同車の前照灯は下向きにし、かつ、右側方向指示灯を点滅させた状態にしていたこと、

(六)  被告人は、同交差点の手前約一〇〇メートルのカーブになつた個所で対向車二台と離合し、その際前照灯を下向きにし、引続いて本件交差点を見通しうる個所にさしかかつたが、右交差点附近を車両一台が対向して進行してくるように見えたので(右車両が前記マイクロバスであることは至近距離に至るまで確認できない。なお、被告人は、同車が方向指示を点滅させていたことには気づいていない。)、これと離合する関係上、前照灯は下向きのままで進行を続け、同交差点の手前で前照灯を上向きにしたこと、

(七)  一方、マイクロバスからは、まず南が、次いで細川が下車し南は、歩道上を歩いて同バスの後方に出、そこから同交差点を東方やゝ斜めに横断しはじめたのであるが、細川が同バスの後方附近の歩道に来たときには、南はすでに同バスの後方を横切り、国道西側部分の中央附近をセンターラインの方へ速足で横断しようとしていたこと、

(八)  その時、細川は、北方からの車両前照灯の強い光ぼうにより被告人の車両の接近に気づいたが、南は、被告人の車両の接近に気がつかなかつたのか、或いは右光ぼうの明るさからして被告人の車両が相当離れているものと判断したのか、左方を確認することなく速足で同交差点を横断しようとしていたので、危険を感じた細川は、直ちに南に対し、後方から「危い」と声をかけたが、南は難聴のせいもあつてかそのまま横断を継続したため、同所より約4.65メートル東方へ行つた地点で、国道東側部分の中央附近を南進してきた被告人の車両右前照灯附近と衝突して田圃の中に転倒したこと、

(八)  細川は右事故を目撃し、直ちに一ないし二メートルばかり離れて進行しかけていたマイクロバスに向つて声をかけたが、運転者の直本守はこれに気づかないまま北方へ進行していつたこと、

(九)  他方、被告人は、前照灯を下向きにしたままで進行していたが、同交差点内の右衝突地点の手前約一六メートルに接近した際、間もなく対向マイクロバスと離合することになるため前照灯を上向きにしたが、その瞬間上下ともうすねずみ色の作業服を着た南が同バス左後方の国道中央部分から自己の車両の進路前方を左方へ横断しようとしているのを認め、直ちにハンドルを左に切るとともに急制動の措置をとつたが及ばず、約一六メートル進行した地点で南と衝突し、路上に約一五メートルのスリップ痕を残して左前方の田圃内に転落して停車したが、被告人が南を認めた地点と被告人の車両のスリップ痕の始端までの距離は約一二メートルであること、

(十)  南は、右衝突の結果、骨盤骨折、後腹膜損傷等の傷害を負い、翌二九日午後三時一一分頃、同町福渡一、〇〇五番地福渡病院において、右傷害に基づく心衰弱(出血死)により死亡するに至つたこと、

等の事実が認められる。

被告人は、原審公判廷における供述中や検察官に対する供述調書中において、対向マイクロバスと離合した瞬間前照灯を上向きにして被害者を発見したのであるから、右バスとの離合地点は衝突地点の約一六メートル手前であると考える旨述べており、同バスの運転者である直本守は、前記各尋問調書中において、被告人の車両との離合地点は、発進してから約一二メートルか、もしくはもう少し北方であると述べたり、発進後約三〇メートルの地点と思うと述べたりしているが、原審および当審証人細川琢志に対する各裁判所の各尋問調書中のこの点に関する供述内容(前示(八)の事実のとおり)は、極めて具体的にして真実性に富んでいると考えられるから、これに反する被告人や直本の右供述部分は容易に措信できないところである。

そこで、前示認定の事実に基づいて、被告人の前方左右の注視義務違反および速度調節(減速)義務違反の有無について順次検討を進めることとする。

まず、被告人の前方左右の注視義務違反の点について検討するに、当裁判所の検証調書によつても明らかなように、本件交差点附近は夜間極めて暗く、わずかに螢光灯が一基同所を照しているのみであり、かつ、同交差点附近に停車していた直本守運転のマイクロバスの前照灯(下抗き)の光ぼうのためか、被告人の車両の進行方向から見たときは、同バスの左後方附近には右螢光灯の明りは殆んど及んでいないように感じられ、細川が「危い」と声をかけた際の南の位置に、当時南が着用していたとほぼ同色のうすねずみ色の上衣を着た人物を佇立させ、これに前照灯を下向きにした被告人の車両を接近進行させてその可視距離を実験(実験一)したところによつても、被告人の車両が右人物に約三三メートルに近づいた際、右バスの前照灯の光ぼうのため極めて見えにくい状態において、当該個所を注視すればようやく人の立つているのがわかるといつた程度であり、被告人の車両が時速約六〇キロメートルで進行していたことを考え合わせると、被告人が南を約一六メートルに接近して始めて発見したのも、あながち被告人の前方左右の不注視によるものとは断定できず、南が交差点を横断歩行している状況であつたとしても同様であると考えられ、また、被告人は、前示のようにマイクロバスがその方向指示灯を点滅させていたことに気づいていなかつたのであるが、それだからといつて直ちに被告人が前方左右を注視しなかつたとも言い難く、結局、脇見することなく前方左右を注視していた旨の被告人の原審公判廷における供述は十分信用することができる、従つて、被告人に前方左右の注視義務を怠つた過失は認められないとした原判決の判断は、結局において正当として是認しうる。この点に関する論旨は理由がない。

そこで、さらに、被告人の速度調節(減速)義務違反の点について検討を進めるに、そもそも夜間走行時における前照灯による障害物の見え方は、運転者の視野が昼間とは異なつて狭くなつているうえに、対向車の前照灯による眩しさなどのため非常に見えにくいものであるから、運転者としては、これらの事情を考慮し、自車の速度などにも十分の注意を払つて慎重なる運転をすることが要求される。これを本件についてみるに、時間的場所的関係からして、被告人の進行していた国道には、人の通行が全くありえないような特別の事情は存在せず、また、被告人は、前照灯を下向きにして進行していたうえに、停車中の前記マイクロバスの前照灯(下向き)の光ぼうのため同バスの左後方附近は相当接近するまで極めて見えにくい状況にあり、現に被告人は、衝突地点の約一六メートル手前まで接近してようやく被害者を発見しているのであるから、かゝる状況下においては、法定最高速度いつぱいの時速六〇キロメートル前後で進行を続けることはまことに危険きわまりない運転方法というの外なく、被告人としては相当程度速度を落し、自己の進路前方に障害物を発見したときには適宜これとの衝突を十分に回避しうる程度にまで減速して進行すべき注意義務があると考えられ、これを夜間走行時における運転者の基本的注意義務というも過言ではない。しかして、かゝる程度の減速義務が運転者に要求されるとしても、「高速度交通機関たる車両の機能は著るしく減殺され、その社会的効用も著るしく喪失されるにいたる」とは思われない。そうだとすれば、被告人のかゝる状況下における速度調節(減速)義務は、運転者たる被告人に当初から要求されている基本的な注意義務であると考えられ、かかる注意義務に被告人が違反して、時速約六〇キロメートルで進行して本件事故を惹起した以上、被害者の軽卒にして不注意な行動が、被告人の罪責を軽減することにはなつても、信頼の原則の適用により被告人の罪責を免れしめることにはならない。

従つて、被告人に速度調節(減速)義務を怠つた過失は認められないとした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある。論旨はこの点において理由がある。

よつて刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い直ちに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事していたところ、昭和四五年三月二八日午後七時三〇分頃、普通乗用兼貨物自動車(広島四な三六八五号)を運転し、時速約六〇キロメートルで、岡山県御津郡建部町下神目の中鉄バス下神目上停留所先の南北に通ずる国道(幅員約九メートル)を北方から南方に向つて進行中、停留所附近に停車中の対向マイクロバスの前照灯(下向き)の光ぼうを認め、同車と離合するため自車の前照灯を下向きにしたままで進行を続けたが、被告人の車両の前照灯が下向きの状態であつたことと、対向マイクロバスの前照灯(下向き)の光ぼうの影響もあつて、同バスの左後方附近の様子は極めて見えにくい状況にあつたから、これに応じて相当程度速度を落し、見通しうる範囲内に障害物を発見したときには適宜これとの衝突を十分に回避しうる程度にまで減速して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、時速約六〇キロメートルの速度のまま進行を続けた過失により、同マイクロバスと間もなく離合することになるので早目に前照灯を上向きにした瞬間、同バス左後方の国道中央部分から、同国道東側でこれと丁字型に交差している町道(幅員約3.35メートル)へ向つて横断しようとしているうねずみ色の作業服を着た南堅(当時六五才)を前方約一六メートルに認め、直ちにハンドルを左に切るとともに急制動の措置をとつたが及ばず同人に自車右前部を衝突させ、骨盤骨折、後腹膜損傷等の傷害を負わせ、よつて翌二九日午後三時一一分頃、同町福渡一、〇〇〇五番地福渡病院において、右傷害に基づく心衰弱(出血死)により死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(高橋文恵 久安弘一 寺田幸雄)

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